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昔 キモノグラフティー

この写真は江戸末期の日本人を55年前に再現した肖像です。そしてこの時代の日本女性が持っていた美意識がこの画像の中に有ります。このkimonoフォトは当時としてごく一般の若い女性の正装姿です。現代人の私達が何処かに置き忘れてきてしまったものをこの画像が秘めています。しっとりとして、静かで、優しく、何かを語っています。帯も前は広幅で締めています。髪型も「勝山結い」です。百数十年前の此れが日本女性のごく普通の姿でした。

夏盛装帷子(かたびら)

この写真は明治初期のきもの姿を伝えています。「きもの」は麻の生地に五つ紋付きを配し、帯は亀甲繋ぎ模様で現在の様に前を半分に折らず広げたまましめています。襦袢は白麻で現在の着付けでは見られないですが、大きく抜いています。この当時ですから抱き帯びをしていたものと思われます。髪は「勝山結い」で京風です。簪・櫛が飾られています。持ち物は日傘に扇子。良家のごく普通の若婦人の夏盛装帷子(かたびら)姿です。

200年前七五三宮参・京都八坂神社

この写真は「七五三宮参」の姿絵です。江戸時代の後期(1800年頃)様を映しています。江戸時代は三歳男児女児・五歳男児・七歳女児と現在の祝い方と違いが有ります。現在では三歳男児が抜けています。左の乳母に抱かれた髪置きの男児、その奥にスッポリ型練帽子を被った付き添いの婦です。帯は前に締めている。

右は揚帽子を置く振り袖姿の若娘、その前に被衣(かつぎ)を被った女児。

揚帽子(あげぼうし)

この揚帽子の写真を見た事は初めての人が多いと思います。まず左手の女は母親で頭に被って居る物は綿帽子です。中央の女はその娘で頭に被って居る物は揚帽子です。この写真は江戸亨和時代の装束が描かれているものす。関東地方ではこの揚帽子を被る習慣を持たなかったようですが、関西では大変に流行った様でした。

江戸時代中期の装束です。麻地の光琳波涛文様振り袖に虫篭・団扇の有る夏の夕刻の様です。床几(縁台)過ごす涼やかな情景が美しい。髪は「なまじめ」を結っています。

帷子(かたびら)

桃山時代・江戸前期の衣裳です。当時は未だ木綿の着物は有りませんでした。多くの着物は麻にて作られています。この時代は身長に合わせて、つい丈の着物作りをしています。そしてこの時代に多くの染色技法が考案され今に伝わっています。特に辻が花染めは有名です。帯も細帯にて機能性にも優れ生活着としては今の時代にも通じるヒントが有ります。

<明治時代>京都嶋原の廓の揚屋(あげや)の角屋は、我が国遊里建築遺構としては現存唯一のもので国の重要文化財に指定されている

この様な時代が日本には有ったと云う事実すら忘れられ、忘却の深層の渕に為ってしまった。

嶋原太夫(たゆう)晴装

日本の贅を尽くしたきもの姿の最高峰は何と云ってもこの打掛姿です。(公家衣裳を除く)

<髪>左右に大きく飾られている前差簪(かんざし)8本・中央には櫛(くし)及び櫛止め簪(高く伸びている)・後差簪6本・後ろから垂れている後長ビラ簪左右2本

この写真は明治期の初期の頃のフォトです。着付けを見て下さい。まるでぐずぐずの着付けをしています。毎日が着物の時代にはきっちりとした着付けなんかはなかなか出来ないものです。それに家紋の大きさも今の時代とは大きく違っています。まるで男物の紋の大きさです。帯留めもしていません。

そしてこの福々しいお顔

雛祭りの写真です。京都町屋の雛人形飾りです。手前の女の子は三方を持ち、雛飾りに余念が無い。関東では三人上戸の代わりに五人囃子を加えるのが普通である。

http://fuuryusi.sakura.ne.jp/kimonograph.htm


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